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大阪に花の里あり通り抜け

所長の眼鏡

2008年04月1日

関西の春は奈良東大寺のお水取りで始まり、造幣局の通り抜けで終わると言われています。花見というとやはり桜を思い浮かべますが、昔の大阪では梅に桜に藤に杜若(かきつばた)などたくさん楽しめたそうです。

今の鶴橋駅の西側一帯あたりは見渡す限りの桃林、「桃山」と言われていたそうで、明治時代ここに校舎を置いていたのが今の「桃山学院」です。今ではJR環状線の「桃谷」駅の名前に当時をしのぶだけになってしまいました。
では、「梅田」は梅の名所だったかというとそうではなく「埋田」のことで、湿地を埋め立てて土地を造成したことに由来しています。残念ながら梅の名所ではなかったのですが、梅田付近を中心に十三から福島あたりは一面の菜畑で、春になると黄金を敷き詰めたように菜の花が咲いていたそうです。梅の名所としては、今の上本町駅の辺りにあった「梅屋敷」は人気スポットで、現在の福島区の野田の藤や、浦江聖天や住吉浅沢池の杜若も春の花の名所として有名です。そして、桜の名所といえばその名のとおり桜宮があげられます。

桜宮はもともと現在の福島区である野田村の「桜の馬場」というところにあった神社が度々洪水に見舞われたため、現地に移転、旧地「桜の馬場」にちなんで「桜宮」と名づけられたそうです。

そして、その名に恥じないようにと江戸時代の中期に境内に数百本もの桜の木が植えられ、もともと大川の堤にも桜があったことからこの一帯が桜の名所になったそうです。
しかし何と言っても大阪で桜の名所といえば造幣局の通り抜けではないでしょうか。4月の中旬から下旬の1週間、桜宮の造幣局の川沿いの敷地を埋める119種、約400本の桜並木が公開されるのを毎年楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。通り抜けの桜はもともと江戸時代にこの地にあった藤堂藩の蔵屋敷の敷地に咲いていた八重桜が母体になっています。
1840年頃に藩士が桜宮の川岸に連なる桜に感動し、堤に桜を植えて並べたものが今も残っているそうです。
そして、明治維新という時代の激変をくぐって造幣局に引き継がれ、1883年に当時の造幣局長の「一般の人々にも見せてあげたい」という思いで、桜の並木道が一般に開放されるようになりました。以来毎春恒例となり、混雑緩和のために一方通行としたことから「通り抜け」が固有名詞となったそうです。

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このように、大阪では春霞浪花々競(はるがすみなにわはなくらべ)という言葉も生まれるほど名所古跡が数多くあります。

以前もこのコラムで紹介しましたが、大阪が発展した根本には民間の自立の精神が根付いています。大阪城が市民の寄付で復元されたように、江戸の日本橋は幕府の手によって架けられましたが、
淀屋橋は元祖は豪商淀屋が架けたものです。巨万の富を築き上げ、大坂を「天下の台所」に仕立て上げたのも淀屋です。
そして、今年も大阪城公園や淀屋の活躍の舞台であった大川沿いも桜で溢れようとしています。ではここで一句。

花びらは たくさん散るのに つかめない (^^ゞ

我ながら恥ずかしくなるような駄作ではありますが、花びらが散っているのを見ると、なぜかつかみたくなりませんか。
でもなかなか上手くつかめません。まるで「仕事のチャンス」や「人の心」のようです。。。
今まさに満開の時期ですが、皆さんはそんなことより、「花より団子」でしょうか(笑)


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