コラム『所長の眼鏡』
人生の目的2006.02.01
ライブドア事件、耐震強度偽装問題が連日世間を賑わしています。
しかも、我々一般の国民にとっても深くかかわった問題であるだけに、非常に興味深いです。堀江元社長の功罪が問題視されていますが、私としては、ライブドアの中心幹部の数名が税理士であったということに驚かされました。
また、マンションの耐震偽装問題にしても、一級建築士が起こした問題であり、士業の名を汚す犯罪に憤りを感じます。
また、ライブドア・ショックと呼ばれるように、22万人の投資家が損をしているといわれており、その損失額も、多額な人で1億円、2億円・・・と、とても正常な額とは思えません。(まさにゲームです)
今月は、京セラの稲盛和夫氏の言葉を紹介します。テーマは「精進」、そして「人生の目的」について。
私たち人間は、自分の意思でこの世に生まれてくることを決めたわけではありません。物心がついた時には、もうこの宇宙に存在していました。
明確な目的を持って、この人生をどうやって生きていくかということを決め、「行くぞ」という覚悟と共に生れ落ちたわけではないのです。
成長して学校で学び、社会に出ようという時になって、ようやく人は人生の目的について考えます。目的というよりも職業の〝目標〝と言った方が良いかもしれません。しかし、それは人生における真の目的ではありません。
私は、「心」「魂」というものだけが人生の結果として残ると信じています。つまり、死ぬ時にどういう魂になっているかということが、人の一生の価値を決める。
人生の目的とは、立身出世することではなく、美しい魂を磨くために与えられた時間と場所なのだと思うのです。精進とは真面目に一生懸命に励み勤めることです。
つまり、「働く」ということであります。働くということは、単に報酬を得るためだけの手段ではない。仕事に打込む、一心 不乱に働くということを通して、心、魂、人格が作られていくのです。
仕事というものは1つの石を積んではまた次の石を積むようなもので、1人でやれることには限界がある。
ところが、努力を続ける人の周りには、同僚が集まり、部下が集まってくる。会社の成長とともに末広がりに仲間が増えていって、遥かに多くの石を積めるようになる。その継続が、やがては偉業という結果につながっていくのです。
会社というものは本来、同じ意思を持って精進を重ねあう人々の集まりであるべきです。どんなに真面目に努力を重ねていても、そこは誰しも人間ですから、失敗したり過ちを犯したりするでしょう。
でも、己の力を振り絞って、とことん、本当にもうこれ以上やれないという限界まで頑張りぬいたのならば、たとえその結果が失敗に終わったとしても何一つ悔いることはない。
逆にああすればよかった、こうすればよかったと言う人に限って実は全力を出し切っていない。厳しく言えば、怠け者の言い訳なのです。
誰にとってもたった一度しかない価値ある人生です。明るく、正しく、朗らかに、常に前向きに歩く。悔いを残さぬように、毎日を“ど真剣”に懸命に生きる。そうやって魂を磨き、心を高めていく。それこそが人生の目的というものだと思います。(日経ビジネス2005年12月19日号より一部抜粋)
不思議と稲盛氏の言葉というのは重みがあります。
堀江氏や姉歯氏、ヒューザーの小嶋氏は社会的責任を負うことになりますが、会社は経営者の心一つで大きく左右されるようです。