コラム『所長の眼鏡』
ピカソの相続税2006.09.01
今年はピカソの生誕125周年です。
ピカソは、斬新な形式を開拓し続け、生涯で2万点もの作品を残した20世紀を代表する芸術家ですが、ピカソの故郷スペインでは、彼の生誕125周年を記念して、複数の美術館でピカソ作品の特別展示会が開かれています。
ピカソの作品を専門的に扱った美術館は、スペインだけでなくフランスのパリにもあります。ルイ14世の時代の塩税徴収官の屋敷である「塩の館」を改装したピカソ美術館には、ピカソの作品が多数収められています。
その数、絵画203点、彫刻158点、レリーフ29点、陶器88点、デッサン1500点以上、版画1600点以上。実はこれ、ピカソが亡くなった際に遺族が支払った相続税なんです!
ピカソが亡くなる5年前の1968年、フランスでは相続税の支払いとして、例外的に美術品の「物納」が認められました。
まるで、ピカソの死に備えての制度です(^^;) 相続税納税のために相続人が作品を売ってしまうのを防ぎ、文化財を保護する狙いがあったわけです。
結果、これだけのピカソ作品が国外に流出せずに国の管理下で一ヶ所に集まっているわけですから、その後の入場料収入などの効果を考えても、フランス政府は、してやったりでしょう。
今年5月に公開された映画『ダ・ヴィンチ・コード』の舞台として注目を集めたルーブル美術館にも、物納された作品が収められており、その中にはフェルメールやフラゴナールの代表作も含まれています。
ところで、現在美術館となっている「塩の館」ですが、これは塩税徴収官の元邸宅で、これも「税」つながりです。
「塩税」というのは、ヨーロッパでは、紀元前のローマを初めとして諸国で課せられた税金でした。塩は必要不可欠で代替できず、地理的にヨーロッパでは貴重品だったのです。「塩(salt)」は「サラリー」の語源でもありますから、まさに貨幣並みの価値があったのでしょう。
特にフランスでは、イングランドに海峡制海権を奪われたことをきっかけとして塩税が始まったというので、ヨーロッパの歴史を感じます。
ところで、この美術館の建物は、ルイ14世の時代1659年に、ある塩税徴収官が建てた邸宅なのですが、ヴェルサイユ宮殿を手掛けた職人による彫刻装飾など、当時の建築芸術の粋を尽くした有数の美しさを誇り、なんと3年を費やして建てた館だそうです。
そして、その私腹を肥やした徴収官に対し、周りが皮肉を込めてこの邸宅を「塩の館」と呼んだそうです。そういえば、日本でも「ムネオハウス」とかいうのが一時話題になりましたが…(^^;) このように、当時絶大な権力を持った塩税徴収官は、税の徴収による蓄財で大富豪になっていたのです。そのため、16~17世紀には、しばしば塩税一揆が起こり、フランス革命の一因になったとも言われています。
その後この「塩の館」は、ヴェニス大使館などを経て、革命時には国家財産となり、1964年にパリ市所有となり、歴史的建造物と認定された。
1968年から修理が重ねられ、1974年にピカソとの出会いを迎え、美しくよみがえったというわけです。
死ぬまでに一度は「ピカソの相続税」をじっくり鑑賞してみたいものです。