コラム『所長の眼鏡』
えっ!大阪人は外国人ですか?2007.05.01
そう、確かに大阪人はヘンです。思考や行動でも一般の日本人とはどこか違います。
昨今、大阪人がひときわ元気であるかのように思われているフシがありますが、「お笑いブーム」も手伝ってか、おそらく電波を通じて日本の家庭に大阪弁が送り込まれ、大阪人のタレントがセカセカと気ぜわしく動き回る姿を見せつけているからでしょう。元来、ガラが悪い。下品。騒がしい。せっかち。抜け目ない。ケチ。守銭奴。食い倒れ…。際限もなく、誉め言葉にならない表現を並べられるのが、大阪および大阪人です。
これはマスメディアによって歪められた大阪人像だ!と反論したいところですが、当たっているので反論できません(笑)一部には、誤解も甚だしいという意見もありますが、多くの大阪人は、「まあ、勝手にそない思わしといたらええがな」と実害がない限り無頓着です。
さらに、「長いものには巻かれよ」の日本的思考の中で、大阪人だけは、「官や公権力や政治を信じると碌なことはない」「行政や政治をアテにしてはならない」という考え方が土着風土となっています。
大阪人得意のソロバン勘定をしてみると、近寄っても益はなしといった発想になるのでしょう。
そんな大阪のシンボルである大阪城には、意外に知られていないエピソードがあります。
秀吉は石山本願寺の跡地に大坂城を築き、白州地を埋め立てて船場や島ノ内の土地を造り出し、巨大商業都市を築造させました。
彼は、町人にとって善政と思われる政策をとったので大層人気があり、「太閤はん」とまるで自分の先祖であるかのように、今でも大阪人から親しまれています。
しかし、関ヶ原の合戦に続き、大坂冬の陣、夏の陣、と二度にわたる徳川方の策略戦で、豊臣家は滅び、華麗を誇った大坂城も消失してしまいます。
「狸オヤジめ」今も大阪人が徳川家康をそう罵るのは、この折の卑怯な策略と、秀吉に対する判官びいきからといわれています。
二代将軍秀忠は、大阪の町人に随分気を遣い、大阪は次第に往年の商業都市としての繁盛を取り戻しましたが、大坂城の方は、明治維新の引き金となる鳥羽・伏見の戦いのとき、失火から大部分を焼失しました。
「なるほど、大阪人は大したもんやなあ。江戸時代からエレベーターまであったんや」
「あのなあ、江戸時代に電気なんかおまへんで」である。
実は、現在の天守閣は、昭和6年、当時の建築費150万円、現在の金額にして750億円が、全額大阪市民の寄付によって再建された三代目の天守閣なのです。
このエピソードで、大阪がいかに官に頼らない町であるかということがよくわかります。
さて、そんな大阪ですが、経済に目を向けるとやはり東京一極集中の波を止めることができません。
商人の町として栄え、そこから学んだ大阪人気質ですが、それだけではこれからの時代、生き残ることはできないのでしょうか。そんなことはないはずです!
笑うこと、陽気であることが歓迎される大阪の風土は、日本全体がむっつりして、つらいと辛抱しながら働く間に、ご陽気にゲラゲラ、クスクス儲けさせてもらっているのが大阪人ではないでしょうか。