コラム『所長の眼鏡』
なんと!平城遷都1300年2010.01.01
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
今年はバンクーバー冬季五輪、サッカーW杯南アフリカ大会と、世界規模のスポーツの祭典で盛り上がることでしょう。
(我らが阪神タイガースも寅年なので頑張って欲しいものです…^^;)
さて日本国内では、平城京(710年)・・・それから、なんと(南都^^;)ちょうど1300年。
いよいよ、奈良の地で「平城遷都1300年祭」が開催されます。
お隣の大阪にいても、まったく盛り上がりを感じないのは私だけではないはずですが、平城京とはいったい…!?
平城京は、都だった期間は意外と短く、74年後に長岡京へ遷されています。
なぜ当時、盛んに遷都が行われたのでしょうか。
その歴史を紐解けば分かるのですが、古代の日本の姿は活力旺盛だったようです。
昔、日本には、あちこちに強い人がいて、それぞれ「自分が一番強い!」と言っていた時代がありました。
その中で一番強い人が、やがて皆を束ねるようになると、人々はその強い人の家へ諸事報告をしに行きます。
その最有力者の住まいが「宮」と呼ばれるようになっていたのでしょう。
しかし、大陸にはもっと強大な国があって、それらは海の果ての日本という土地にまで目を向けていた。
そこで、「もっとまとまらないとマズいんじゃないか…」という必要性を感じ、大陸に倣って「京」(みやこ)を作ったのではないかと言われています。
京の造営とはもっぱら外交を意識したもので、そういった当時の人たちの気持ちが、壮大な都を作り、それが今に残っているのです。
遣隋使の始まった聖徳太子の時代がまさにそうですが、もし、当時の人たちがそういう意識を持たずノホホンとしていたら、今頃我々は「ニイハオ」と言っているかもしれません(笑)
それにしても、藤原京は16年、平城京は74年、長岡京は10年、そして平安京へと、驚くほどのスピードで遷都されていきます。
一般的に水事情、トイレ事情が原因だという説もありますが、長岡京などはどう考えても風水で説明がつかないらしく、平安京は、それはもう風水にピッタリはまる土地なんだそうです。
しかし、大仏の建立や万葉集に出てくる歌などから、平城京まであったパワーはどんどん衰退していき、平安文化は内へ内へ篭るようになっていきます。
気がついた時には「武士」という人たちが政治を動かしていた…ということになるのですが、実質の無さという点では、現在の東京も同じかもしれません。
一見先進的で国際色があるように見え、日本の中心として威張っていますが、「日本の首都」という自覚はほとんどありません。
世界に向けてエネルギーを発信する力を無くしてしまっている感じがします。
1300年前には、大陸を視野に入れて、躍動的に生きた人たちがいた国なのに。。。
時代とともに変わったもの、変わらないもの。奈良には歴史が息づいています。
遷都以降、原っぱになったからこそ、手付かずであったからこそ、1300年の時を超えて古代の面影を間近に見ることができるのです。
今年は、古代の人々に想いを馳せながら、奈良の地を歩いてみませんか。
当時のエネルギーを感じることができれば、見えないパワーが沸いてくるかもしれません。