コラム『所長の眼鏡』
相続本を出版しました!2011.10.01
「しゅうかつ」と言えば、学生の就職活動のことですが、最近は「終活」と言って、遺言書を書くためのツアーや「エンディングノート」を書くことがブームになっているようです。
これは近年、相続トラブルが急増していることに加え、相続税の増税がその要因になっているようです。
訴訟件数を見てみると、相続トラブルの7割は財産総額5000万円以下の家庭で起こっており、借金がある場合もトラブルは多く、今や相続問題はどの家庭にも起こりうる問題となっています。
そこで私も先月、『サラリーマンのための相続トラブル対策』(幻冬舎)という本を出版しました。
タイトルが「サラリーマンのための…」となっているのは、あくまでも広くたくさんの方に読んでいただこうという趣旨で、どなたにも参考になる内容となっています。
相続の「相」という字は、「人相」や「手相」の「相」で、「すがた」という意味です。
したがって、相続というのは本来、財産だけでなくその家の考え方、親やご先祖の教えを引継ぎ、後世へと伝えていくということなのです。
しかし、民法で法定相続が規定されてから、相続人は財産をもらえるという「権利」だけを主張するようになってしまいました。
その昔、わが国が家督相続だった時代は、長男がすべて相続する代わりに一族郎党すべての面倒をみたのです。
すなわち、長男には「権利」と「義務」があったのです。
しかし、今は権利だけを主張するのが当たり前になってしまい、義務がなおざりになっています。
その結果、「相続」が「争続」になるケースもあり、さらに全くブレーキの利かない相続人もいるので、私はその人達のことを「暴争続...」と呼んでいます(笑)
そこで、本の中でも紹介していますが、「エンディングノート」を書かれることを是非お薦めします。
昔は「死」に関する話題を家庭で持ち出すことを忌み嫌ったものです。
記録も残さない、黙して語らずが一般的でした。
子供は親の背中を見て育ちましたが、核家族ではなくなった今、親子のコミュニケーションは極端に減ってしまっています。
その結果、相続=遺産分割というように、残された方の権利意識が目立つようになったのかもしれません。
私たち人間は、生まれた日から、一日一日、人生の終焉に近づいて行っています。
しかし、その日がいつかは分かりません。
驚くべきことに、人間以外の動物は自分の最期が分かり、その日が近づくと自ら群れを離れ、自分の手で自分を埋葬するそうです。
しかし、私たち人間は自らの手で自分を埋葬することはできません。
だからお互い助け合いながら、亡くなった方を葬ることを有史以来続けているのです。
他者に頼ることでしか「その日」を迎えることができないのが人間なのです。
このノートは、その日を迎えたときに、愛する家族や友人たちに負担をかけず、できるだけ戸惑いが少なくなるように、そして、今まで自分のしてきたこと、したかったこと、できなかったことなどを振り返り、子供たちに伝えたい想いを書き残すためのものです。「相続なんか関係ない!」「うちの家に限って…」なんて、他人事のように言ってはいられません。まずは小著をご一読いただき、当事務所発行のエンディングノートを是非活用してみて下さい。