コラム『所長の眼鏡』

1000人のおっぱいを吸った男2023.08.01

 

「顧客リサーチは大事」わかりきったことです。

表題だけ読むと、どういうこと??と思うかもしれませんが、創業者ってすごいな、とあらためて衝撃を受けました。

 

昭和29年、戦時中シベリアに抑留されるも、生きて日本に帰った仲田祐一氏は、「日本の将来にいちばん大事なものは赤ちゃんだ」と考え、哺乳瓶など、いちばん命にかかわる部分の仕事をしようと創業。

そこでできたのが、赤ちゃん用品の会社ピジョンの前身となるピジョン哺乳器本舗です。

 

 

ある日、薬局からなにやら数を数える声が…。

返品と書かれた段ボール箱の中に投げ込まれてゆく哺乳瓶たち。

「やっぱり赤ちゃんは、お母さんのおっぱいで育てるのが一番でしょ」薬局の店主の言うことは確かに当たっていました。

当時の哺乳瓶は開発が遅れ、品質も粗悪なゴム素材。まだまだ母乳で育てるのが一般的な時代だったのです。

 

「何とか赤ちゃんの気持ちになって、哺乳瓶が作れないものか…」仲田氏は考えますが、とはいえ、顧客リサーチ(赤ちゃんに感想を聞くなど)はできません。

そのとき彼が思いついたのは、赤ちゃんの気持ちに近づくには、自分も赤ちゃんの気持ちになって本物のおっぱいを吸ってみるしかない」ということでした。

(普通そうなりますかね???)

彼は道行く女性に声をかけ始めました。

「すみません、あなたのおっぱいを吸わせてもらいませんか?」

(もう変質者です。)しかし、そう簡単にいきません。(当たり前です。今だと捕まります。)

 

断られ続けた仲田氏は、仕方なく断念し、気分転換に飲み屋へ出かけていきました。

隣に座ったホステス・英子としばらくやりとりをするうち、彼女には生まれて間もない赤ちゃんがいることが判明しました。

しかも、哺乳瓶を使っているが、うまく飲んでくれなくて困っているというのです。

 

「あなたおっぱいを吸わせていただけませんか?」・・・一瞬の沈黙。

 

思い切ってうちあける彼に、英子は戸惑いながらも、承諾してくれたのです。

こうして仲田氏の実地研究、「おっぱい行脚」が始まりました。

彼は出産経験のある水商売の女性に声をかけ、研究を続けること6年。

何とその対象者は1000人近くにも上っていたそうです。

 

たとえ社員に白い目で見られようと、ひたすらおっぱい行脚を続け、新しい乳首の開発に情熱を燃やした仲田氏。

今では科学的に解明されていますが、当時はまだ知られていなかった、赤ちゃんのミルクを飲む時の舌の動き蠕動様運動にも注目し、開発のヒントにしたそうです。

そして、ついに新素材イソプレインを使った、極めて本物に近い質感の乳首を開発することに成功したのです。

その結果、日本赤十字病院の医師が、新しく開発した哺乳瓶を公認してくれ、その他多くの病院にも認められるようになったのです。

 

こんにちは赤ちゃんの大ヒットを受けて始まったベビーブームの中、ピジョンは国内の哺乳瓶シェア80%を占めるほどの企業へと成長し、現在もそのシェアを誇っています。

 

自分はやった気になっていないか、「とことんやる」この凄まじい行動力には驚かされました。